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2020年2月

ロコ、絵文字のある橋『備前♡日生大橋』を行く~「歴史に残る橋」シリーズ2

                  20年2月24日 記

 
 先日、岡山県の東南部にある「備前♡日生大橋 」に行ってきました。
 「備前♡日生大橋」は、 備前市日生町と鹿久居島を結ぶ全長765mの橋です。2015年(平成27年)4月16日、この橋の開通によって日生諸島の鹿久居島と頭島が本土と結ばれました。橋の眼下両側には多くの牡蠣(カキ)筏が浮かぶ日生ならではの風景を望むことができます。
 この橋Kimg6330Kimg6329体は特に美しく面白みがあるとか、全長が長いとかで記録に残る橋とかではないのですが、実は橋の正式名称に初めて絵文字(♡・ハートマーク)が使われた橋なのです!。

 特に意識はしていなかったのですが、ロコの暮らす岡山県内にもKimg6328世界に誇る?「備讃瀬戸大橋」とか、少し前のロコブログで取り上げた❝人間回復の橋❞『邑久長島大橋』など、けっこう、「歴史に残る橋」っていうのがある気がしてシリーズにしちゃいました。遡ちゃいますが、「人間回復の島」をシリーズ1として、今日の「絵文字橋」をシリーズ2としました。
 なお、鹿久居島と頭島には、日生町と鹿久居島を結ぶ「備前♡日生大橋」より先に頭島大橋が架けられていま した。
Kimg6340_20200224214401Kimg6319

 

ロコ、人間回復の橋・邑久長島大橋&日本初の国立療養所・長島愛生園を行く~その3

                   20年2月11日 記

 

 ・・前回からの続き

 ハンセン病国立療養所・長島愛生園の90年の歴史をたどる史跡めぐりの起点・歴史館を見学した後は、島内に散らばる(負の)歴史遺産・史跡の見学です。
 Kimg6184_20200211185301 歴史館から徒歩2,3分のところには『収容桟橋』の史跡が残っています。入所者専用の桟橋で職員用の桟橋とは別にされています。入所者の家族や付添い者もこの桟橋までしか入ることができず、いわば家族や社会との‟別れの場“となりました。浜辺から突き出た橋や土台も今は一部しか残っておらず、崩落の危険のため立ち入りが制限されていますが、”今生の別れの場所”と聞けば崩れていてよかったとも思います。 Kimg6185_20200211185301  
 そこから見えるすぐ近くには回春寮と呼ばれた『収容所』跡があります。今は廃墟となっていますがここは内部の見学ができます。何故、「回春寮」の名が付いたかはわかりませんが、入所者はまずこの建物に収容され、各種の検査や手続きが行われ、現金や禁止物品の取り上げ、消毒風呂への入浴、持ち物の消毒などもここで行われました。こうしたことから、この寮への入所で“隔離隔絶”を意識した人も少なくなかったそうです。
 収容所から先に進んでいくと桟橋とは別の浜に出ますが、この浜のもとの小高い丘には『監房』跡(一部の塀だけ残っています)があります。隔離するための収容所ですが、開園とともに監房も別に設置されました。園から逃亡した入所者を収監するためのものです。懲戒権が園長に与えられていたためほとんど裁判も行われなかったそうで、戦後も使用され続け、1953年のKimg6212_20200211185301 「らい予防法」改正まで廃止されませんでした。

 パンフレット・長島愛生園「歴史回廊」によれば、史跡は他にも『目白寮跡』『納骨堂』『浪花道路』などがあり、計14カ所が史跡となっています。また、史跡めぐりとは別に、入所者が農業や畜産を行っていた場所『少年農園』や『相愛溜池』『相愛の磯』など7カ所を巡る「ハイキングコース」もあります。
 

 ロコは、時間の関係ですべての史跡やハイキングコースを辿ることはできませんでしたが、心はずっしりとかなり重い想いを抱えて島を後にしました。 

ロコ、人間回復の橋・邑久長島大橋&日本初の国立療養所・長島愛生園を行く~その2

                         20年2月7日 記

 

 ・・前日からの続き
 「人間回復の橋」とも呼ばれる邑久長島大橋を渡り、国立療養所のある長島へ。手前には同じ国立療養所である邑久光明園がありますが、この日のロコは光明園には寄らず長島愛生園へ。同じ長島ですが愛生園は東側に位置する大きな島の方にあります。

 程なく、長島愛生園歴史館の看板と建物が目に入ります。歴史館は約90年の歴史を刻む愛生園の史跡めぐりの起点と言える場所となっています。この建物はかっての愛生園の管理棟(事務本館)として業務を行っていたところですが、2003年にハンセン病問題を学び、社会に残る様々な人権問題について考えるようにと歴史館に改修されました。日本のハンセン病政策の上でも重要な役割果たした場所ですが、歴史的建造物としても貴重な存在です。実際に園長が執務を行った園長室も再現されていて、また廊下や天井なども装飾の施された重厚な木造りであり、玄関正面にはステンドグラスも飾られています(館内では撮影禁止のため直接的な画像はありません)。ただ、この建物も当時は職員地帯としてハンセン病入所者が近づくことは厳しく制限されており、負の歴史遺産とも言えます。ここが史跡巡りの起点です。

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*何故か、構成・編集が乱れています。ごめんなさい。
 ほんと、使いにくいブログになっちゃいました(怒)。

ロコ、人間回復の橋・邑久長島大橋&日本初の国立療養所・長島愛生園を行く~その1

                     20年2月3日 記

 

 日差しの暖かさと早春?の陽光に煌めく瀬戸内の海に誘われて、昨日は瀬戸内市にある国立療養所・長島愛生園に行ってきました。長島愛生園は日本で初めて誕生(1930年)した国立療養所で、ハンセン病患者の入所(以前は隔離収容)のため誕生した施設です。
  Kimg6212 ハンセン病は抗酸菌の一種によって引き起こされる慢性の感染症で、主に皮膚と末梢神経が侵される慢性の感染症です。現在では完全に治癒する病気ですが、かっては癩(らい)菌によって発症する癩病と呼ばれ、感染力の強い不治の病とされ日本の国策によって強制収容隔離が行われ、優生保護法のもと断種手術や堕胎も強要されました。
 
 ロコは、香川県にあるハンセン病療養所の大島青松園(大島)には瀬戸芸開催の度に行っていますが、地元・岡山県の長島にある2つの療養所(長島愛生園と邑久光明園)には行ったことがないこともあって、今回日本で最初の療養所である長島愛生園(長島)を訪れました。
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 長島愛生園には「人間回復の橋」と言われる邑久長島大橋を渡って行きます。療養所がある長島と本州・虫明地区とはわずか30mの距離ですがここは潮の流れが速く、橋が架かるまでは理不尽な処遇に耐えかねて密かに本土に泳いで渡ろうとした入所者の方が何人も亡くなられたそうです。1963年の国際らい会議でハンセン病に対する特別法の廃棄や隔離政策の廃止などが提案されたこともあり、非常に不便、かつ不自由であるこの海峡に橋を架けることは長島愛生園と当園の入所者や職員にとって長年の悲願 Kimg6181 だったそうです。そして、1988年5月9日に、通称「人間回復の橋」とも言われる全長185(135ともいわれています?)メートルの「邑久長島大橋」が完成しました。
 片側1車線、幅員7メートルの水色をした1連アーチの地味な?橋ですが、この橋は終生の隔離政策で非人間的な扱いを受けた入所者の方々が、一度失った人間性を長い苦労苦難の末に取り戻すことの象徴としてできた橋です。それが、「人間回復の橋」と言われる所以です。

 ちなみに、「人間回復の橋」完成からさらに8年を要した1996年(今からわずか24年?前のことです!)になってようやく日本の「らい予防法」は廃止となりました。


 明日以降に続く…
 

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