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2020年5月

「おかやまマラソン2020」中止でテンションさらに低下


 コロナ禍…。
 「やっぱり・・・」といえば、それまでですが、はやばやと?この21日、「おかやまマラソン2020」の中止が同実行委員会から発表されました(涙)。
 昨25日、全国の全ての地域で非常事態宣言が解除になり、来月6月19日以降は1000人を超えるイベントもOK?みたいなことをいっていたので、ひょっとしたら?、11月なら大丈夫じゃなかったのかな?!って感じもします。
 しかし、もう中止と決まったので四の五の言っても仕方ないのですが…。

以下は、ホームページからの抜粋です。

cancellation-banner

    おかやまマラソン2020開催中止のお知らせ

 本年11月8日(日)に開催を予定しておりました「おかやまマラソン2020」は、新型コロナウイルス感染症の影響により、大会を中止することを決定いたしました。

 開催の可否について、慎重に検討を重ねてまいりましたが、大会を開催した場合、全国各地から集まった約16,400人のランナーが密集し、スタッフやボランティア、沿道で応援される方と接触する場面における感染リスクを排除できないことから、ランナーをはじめ参加される皆さまの安全を考慮し、このような結論に至ったところであります。

 大会を楽しみにされていた多くのランナーや市民県民の皆さま、全国各地から応援してくださった皆さま、ご支援いただいた協賛社、協力団体、関係者の皆さまには大変残念な報告となりましたが、何卒ご理解くださいますようお願い申し上げます。

 また、次回に向けて、引き続き改善を重ね、より魅力的で多くの方に喜んでいただける大会となるよう努めてまいりますので、今後とも「おかやまマラソン」にご支援、ご協力くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

                                                     おかやまマラソン実行委員会


 「‥たぶん開催は難しいと思うけれど、一応、申し込んでおこう…。」と参加申し込みし、県民優先枠は初日で申込者が定員(2,000人)を超えたこと、コロナ禍の影響を考え、抽選結果の発表は7月まで延長するとかの措置を取ることなどの情報までは知っていました。
 まあ、緊急事態宣言が解除になっても、「『3密』は避ける」などの新しい生活様式?は今後も続くでしょうから、「おかやまマラソン」のように大型の都市型マラソンは間違いなく「3密」ってことで、中止はやむを得ないでしょうね?!

 ちなみに、ロコは申し込んでいませんでしたが、「おかやま」より1週間遅い11月15日開催予定の「神戸マラソン」の申し込みは期限を過ぎ、6月16日に抽選結果発表(開催の可否もこれに合わせて判断)。11月29日開催予定の「大阪マラソン」は参加申し込み開始日を延長し様子見だそうです。
 

 しかし、コロナ鬱と相まって、テンションが上がらない?どころか、下がったままの超低空飛行状態がまだまだ続きそうです(苦笑)。

3密を避け、独り山城跡を行く⑥~備前「徳倉(とくら)城」編

                     20年5月17日 記

 

 今日取り上げるのは、岡山市の北区(旧御津町)にある徳倉城です。
 Kimg6832 やはり山城ですが、山頂部232メートル、比高170メートルで比較的楽に登城できます。この間、けっこう厳しい山城を登城してきたロコも「ほっ」とできるくらい割と楽に登れる山城でした(笑)。Kimg6836
 それはさて置き、この城跡の最大の見どころは、何といっても本丸の高石垣!です。大手道を登っていくと、突如見上げるように現れる高さ約3メートルにも及ぶ石垣群です。野面積みですが、形も良く整っています。また、搦手登山道(私は下山に使いました)の途中にある空堀です。けっこうな深さで長く続いており、草木もほとんど生えていないためか、最初、私はこちらも下山道かと思ってしまいました。
 なお、本丸には居館跡の敷石が並んでおり、さらに一段高くなったところ、中心部?には妙見宮の祠が建っています。また、その近くにはケース入りの登城記念ノート?が置いてあります。

 

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お城のデータ

史跡区分 岡山県指定史跡
遺 構 曲輪、石垣、土塁、井戸、堀切
形 式 山城 築城者: 松田元隆 築城年代:

文明年間


歴史と謂れ

  徳倉城の築城年代については、諸説があり定かではないが、文明年間に金川城主松田元隆が、金川城の支城として整備したものと考えられ、松田氏の重臣宇垣氏が代々城主であった。
 永禄11年に、宇喜多直家(岡山城主)が松田氏を滅ぼすと、直家の家臣遠藤河内守が城主となった。慶長5年、関ヶ原の役で宇喜多秀家は、西軍に与したため改易となり、備前国は小早川秀秋の領国となり、この頃に徳倉城は廃城となった。

 徳倉城は高尾山から北へ伸びた山塊の先端頂部にあり、三谷川に面した標高232mの山頂に築かれている。徳倉城は山頂の本丸を中心に南北の尾根と北東の尾根に曲輪群を配し、東へ伸びた尾根に出丸を設けている。本丸部分以外は階段状に曲輪を配し、堀切によって遮断する一般的な中世山城の形態を成しているが、本丸部分のみは高石垣が設けられている。
 本丸は南北に長い曲輪で妙見堂が鎮座している。石垣は東面に設けられており、坂虎口に対して横矢の張り出しがある。南端には幅1m程の多聞櫓跡のような遺構があり、中央に階段が付いている。
 もう一つ興味深い遺構は搦め手側にあり、鞍部から東の徳蔵神社に向かって降りる道沿いに堀底道のような空堀遺構が残っている。幅が狭い割に深さがあり、水が流れている形跡もない。案内板によれば500m程の規模で残されているようで、地図に当てはめてみるとちょうど南側の尾根続きの部分を遮断できる規模である。徳蔵神社には城主の宇垣一郎兵衛の供養塔がある。

 

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3密を避け、独り山城跡を行く⑤~美作「矢筈城」編

                    20年5月13日 記

 

 今日のブログで取り上げる山城は津山市にある矢筈城(跡)です。

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 矢筈城は岡山県最強?と言われる中世山城の最高峰です。標高756メートルの矢筈山に築かれた東西1600メートル、南北500メートルにも及ぶ壮大なスケールの山城なのです。
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 この城は、美作と因幡に勢力を有した国人領主の草苅衡継により、天文元年から二年(1532~33)にかけて築かれました。Kimg6876


三代城主・重継は毛利氏に属したため、矢筈城は宇喜多氏や羽柴秀吉の軍勢からたびたび攻撃を受けましたが、その都度撃退しました。本能寺の変の後、毛利輝元らの要請によって天正十二年(1584)に重継が退城するまで、矢筈城は築城以来一度も落城することがなかった難攻不落の堅城として知られています。

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 登山(登城)口は千磐神社横と転車台のあるJR美作河井駅の裏の2か所あります。私は千磐神社登山口から登りましたが、やっぱりとってもしんどかったです。
 登り始めて
30分かけてやっと最初の目印(区切り場所?)となっている大岩にたどりつきました。もうここで脚が痙攣仕掛かりましたす。ここまで約950メートル。本丸までまだ1500メートルくらいあります。Kimg6871

 ・・1200メートルの中間地点。この辺りから山道の傾斜も軽くなり城跡の遺構(西曲輪部)が現れ始めます。櫓台跡や虎口跡があり、 しばらく進むと狼煙台跡も残っています。
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 西曲輪部と東曲輪部の境である大堀切を過ぎてようやく三の丸跡に到着。中間地点からここまでは石垣跡や石組、堀切、竪堀、門あと、櫓台など見処 満載です。
 三の丸、二の丸と進み、遂に本丸を攻略。登城を果たしました。登り始めてここまで約1時間50分かかりました。山頂に築かれた本丸跡はさほど広くありませんが、ここからは四方が見渡せる絶好の眺望が広がっています。また、本丸に天守はありませんが、四方懸け造りの大規模な建築物があったそうです。

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 ここでおむすびタイムを取りましたが、2時間近い登城後のおむすびはやっぱり美味しかったです!

「ブラマスク」を作りました!

                  20年5月12日 記

 

 ・・まあ、最初から期待していなかったし、不衛生不良品のマスクが届いても困るのですが、ロコの地域には「アベノマスク」そのものが未だ届いてないし、配達される気配もまったくありません(怒)。

 そんな中ですから、外出自粛要請でお家時間が増えているGWの最終日に、使っていないブラジャーを使ってマスクをつくってみました(笑)。お手製の手縫いマスクです。1枚のブラを裁断し、その布切れだけで2枚できました。
Effect_20200511_143419  1枚は右乳房部分とストラップを使ったもので、こちらは耳かけストラップの長さがアジャスターで調整できるようになっています。もう1枚は左乳房部分と背中のゴム部分を使ってつくりました。Effect_20200511_143520  
 左右の乳房部分を使っているのでさすがに1枚では左右対称にはなりませんが、
肌触りもよく、レースがおしゃれ感を出していて、全体的に可愛いらしい雰囲気があり、けっこう気に入ってます。またパットを入れるホールにガーゼをいれればガーゼ交換だけで済み、実用的にも十分耐えられます(笑)。

 素材がブラってばれるのは恥ずかしいけれど、ちょっと着けてみたいブラマスクの出来栄え?です(💣笑) 

少しだけ鉄子?のロコ、「近代化産業遺産」美作河井駅の転車台にいく

                    20年5月9日 記

 

 「3密を避け、独り山城跡を行く」シリーズを今日はお休みし、先日訪れたJR因美線の美作河井駅にある転車台を取り上げます。実はこの日も後日取り上げる予定の山城「矢筈城(跡)」の登城が目的だったのですが、矢筈城を調べているときに最寄りの駅「河井駅」に転車台があることを知り、登城後にを訪れた次第です。

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 ロコは、「旧津山扇形機関車庫」には行ったことがあったのですが、それと並ぶくらいこの「転車台」が価値がある?とは知りませんでした。
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なんでも、河井駅のこの転車台は山陰方面から来るラッセル車を回していたそうで、転車台の桁の長さは40フィート。明治時代に輸入されたもので、現存するのは国内では4例だけという貴重な鉄道遺産だそうです。2008年に
「登録鉄道文化財」に認定され、2009年2月には、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。
 初めてじっくり転車台を見ました。手動で動かす(回す)ようで取っ手が付いています。ちまみに試しに取っ手を握り動かしてみようと思いましたが、びくとも動きませんでした(笑)。

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 また、この転車台がある河井駅も木造舎でいい雰囲気を醸し出しています。因美線の駅は多くが昔ながらの風情があって、木の温もりとノスタルジーを感じさせてくれます。
 コロナ渦が収まれば、今度は因美線の木造舎を訪ねる旅に出ようかしらね!?

3密を避け、独り山城跡を行く④~備前「天神山城」編

                    20年5月7日 記

 

 今日のブログは3密から離れるために過日登城したお城で、先回取り上げた「三石城」と因縁深い?県指定史跡の「天神山城」です。

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 歴史と謂れ 

  天神山城は、享禄5年に浦上宗景によって築かれた宗景一代限りの城。浦上宗景は、播磨西部・備前東部を領した三石城主浦    上村宗の次男。父村宗没後、室津城主の兄浦上政宗(浦上宗家相続)と不和になり、富田松山城主の弟国秀と共に備前東部の国
 人を引き連れ自立した。
  浦上宗景は、天文12年に備前守護職赤松晴政(播磨置塩城)の備前侵攻軍を撃退して、備前での領主権を確立し戦国大名へ
 と成長した。
  永禄年間から新興著しい家臣宇喜多直家が、永禄11年に金川城主松田元輝を滅ぼした。この頃から浦上宗景と宇喜多直家の力
 関係は逆転し、天正5年に宇喜多直家は天神山城を攻め、数日間の攻防の末に落城。

 お城のデータ

所在地 岡山県和気郡和気町田土
遺 構 曲輪、石垣、井戸、堀切、侍屋敷
形 式 山城 築城者: 浦上宗景 築城年代: 享禄5年

 ・・この天神山城の登城はかなり難関です。
 100名城、続100名城を含めて今までかなりの数の山城を登城してきましたが、ロコの中ではトップ10に入るくらいのしんどい城でした。登山道が急斜面なのと、小石、岩交じりの道なのでとっても歩きにくいのです。途中の岩肌の急斜面のところにはロープが張られているくらいです。
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 登山口に到着。登山(城)口から本丸まで1100メートルの表示がありました。入口から見た感じ、登山道はかなりの山道です。Kimg6802


 しばらく頑張りましたが、足と呼吸が苦しくて我慢できず、休憩、見張り所でもないところですが、自主休憩?しました。本丸までまだ三分の一?くらいの地点です。
 しばし休憩し、呼吸を整えてから引き続き歩きます。看板が出ているのでみると、矢印と天神地蔵の文字。矢印の方向へわき道を入ったところにありました。城の護り地蔵?でしょうか?天神地蔵。
・・登り始めて50分、ようやく大手門跡に到着しました。大手門の崩れた石垣が左右にありました。ここからさらに5分程登るとそこが本丸(跡)です。やっと登城を果たしました。
 本丸に建っている案内図を見ると、南櫓台や石門、亀の甲、大堀切など、興味をそそる案内があります。さらにその先には旧天神山城で太鼓丸と呼ばれる場所を発見。頑張ってここまで行ってみることにしました。Kimg6812


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 本丸跡を越えて南へさらに700メートル。山(曲輪)あり谷(堀)あり、石積を超えて境となる大谷(大堀切)を越えて再び登ります。岩がごろごろした道を登り、亀の甲(岩を落として相手を攻撃する巨岩置き場?)、石門などを経て、なんとか太鼓の丸に到着。ここは旧天神山城です。
 ここからの眺望は圧巻です。吉井川が随分と小さく眼下になりました。ちなみに天神山は標高409メートルです。


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 天神山城は、1km以上もある長い尾根上に連続した曲輪を連ねた連郭式山城で、城内は自然の巨石を巧みに利用した石門跡などが多く残る東の前期天神山城と、天正期になって改築された石垣や大手門跡などを持つ西の後期天神山城に分かれるとのことです。
 石垣や櫓台、曲輪だけでなく、百貫井戸、石門、亀の甲、そして何より急峻で岩がゴロゴロした大手道(登山道)など、とっても面白く?興味深いかつ、しんどかった(笑)、今回の天神山城登城でした。

 

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