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2020年10月

マンホールのふた~その110『岡山市・『うらじゃ』のマンホールふた3種』

                      20年10月29日 記

 

 岡山が全国に発信するお祭りの中心を占める踊り?としてここ数年?盛り上がりを見せる“うらじゃ”。おかやま桃太郎まつりのフィナーレを飾る踊りですが、今年はコロナ渦のために中止となりました。

 そんな状況ですが、うらじゃの総踊りが行われる市役所筋に❝うらじゃ❝をデザインしたマンホールふた3種が設置されました。「あれっ、新しいデザインのマンホールが…」って思ってたのですが、後で、青年商工会議所がうらじゃの発展を祈念して?募集したデザインのうち3種が採用されて設置されたことがわかりました。3種はこども、学生、一般から選ばれたということですが、3種ともインパクトのあるデザインだと思います。

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マンホールのふた~その109『倉敷市・水島臨海鉄道のマンホール3種』

                      20年10月27日 記

 

 8月20日付ロコブログで倉敷市の新しいマンホールカード・水島臨海鉄道編?を記事に取り上げました。そこでは、臨海鉄道のマンホールカードととともに、水島臨海鉄道の電車をデザインした新しいマンホールふた3種のうちの2種類の写真を掲載しました。

 この度、残っていたもう1つのマンホールふたの写真に収めることができましたので、すでに掲載済みの2種類のマンホールふたと合わせて今日紹介します。
 今日取り上げるのは、水島臨海鉄道・栄駅付近に設置されたマンホールふたで、3種のうち、唯一客車でなく貨物車のデザインとなっています。

Kimg8111Kimg7672 Kimg7671写真左が今回取り上げた栄駅付近のマンホールふた。

写真中は倉敷市駅前のマンホールふた。

写真右は水島駅付近のマンホールふた。

 

 

 

 

 



ちなみに、写真下は8月に買った「水島臨海鉄道営業開始50周年記念硬券入場券セット」です。
水島本線の今昔駅をまとめた台紙付きで、水島臨海鉄道の今と昔、50周年の歴史をまとめたメモリアル版となっています。

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ー販売価格ー    1,500円(税込)
ー発売枚数ー    1,000セット
ー発売内容ー 
・記念台紙  1枚 ※A4、2つ折り、シリアルナンバー・OPP袋付
・硬券入場券 16枚     

(内 訳)
・倉敷市駅・球場前駅・西富井駅・福井駅・五軒屋駅(復刻)・浦田駅・弥生駅・栄駅・常盤駅・水島駅・三菱自工前駅

・倉敷貨物ターミナル駅・川鉄前駅(復刻)・水島港駅(復刻)・西埠頭駅(復刻)・東水島駅

 

 

 

マンホールのふた~その108『越前和紙の里・福井県越前市のマンホール』

                       20年10月25日 記

 

 福井県の城(跡)めぐりとは関係ない?ですが、マンホールカードが発行されているってことで、城めぐりの合間を縫ってちょっと越前市に寄ってきました。越前市は、2005年10月1日に武生市と今立郡今立町が合併してできた平成の新市です。
 マンホールカードは越前和紙の里・パピルス館でいただけます。パピルス館は旧今立町にあるのか?、ここではマンホールカードのデザインとなった紙すきのマンホールふたとともに、越前市の市章の周りに旧今立町の花・サクラをちりばめたデザインマンホールふたを見つけました。ちなみに、ここでは電気マンホールふたも紙すきのデザイン(下水道ふたの簡易版的デザイン?ですが…)となっています。
 写真下左がマンホールカードの元になった下水道のマンホールふたで、その右隣が電気マンホールふた、下がマンホールカードです。

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 越前市の伝統産業である越前和紙の紙漉きの様子を、地元出身の画家である細井憲摩氏の作品を基にデザイン化したマンホール蓋です。
 越前和紙の起源は約1500年前、紙祖神とされる川上御前が越前市東部の五箇地区の村人たちに紙漉きの技を伝えたのが始まりとされています。
 4~5世紀ごろには既に優れた紙を漉いていたことが正倉院の古文書にも示されており、その後、写経用紙、公家や武士の公文書、お札、日本画用紙などにも使われてきました。
 このように長い歴史と伝統に育まれた越前和紙は、現代においても品質、種類、量ともに日本一の和紙として、五箇地区で生産が続けられています。

 

Effect_20201010_161806  写真左が旧今立町のデザインマンホールふた。その右下は越前町のマンホールカードのデザインマンホールふた(紙すき)の色違いふたです。

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マンホールのふた~その107『いとよの郷・福井県大野市のマンホール』

                      20年10月23日 記

 

 天空の城「越前大野城」があるまち・福井県大野市ですが、実は?ここのデザインマンホールふたは「大野城」でなく、世界的にも南限に位置する大野市に生息する貴重な魚『イトヨ』です。
 マンホールカードも発行されていますが、デザインはやはり「イトヨ」です。

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Effect_20201010_162344_20201023002301  Photo_20201023002301
                                                                  ちなみに、大野市はイトヨの生息のために必要な湧水、しかも清水が豊富です。イトヨはこうした湧水清水の中の「本願清水」に生息しています。

 

大野市の魚「イトヨ」、市章、豊かな名水をイメージする「水玉」をデザインしたマンホール蓋です。 イトヨは日本の北中部を含む極東アジアなど北半球に生息するトゲウオ科魚類で、その成育には、夏でも水温が十数度を超えない湧水域が必要とされます。 大野市には湧水が豊富ですが、イトヨといえば本願清水。 ここは淡水型イトヨの生息地として世界的にも南限に位置する貴重なスポットであり、また市民の生活用水として湧水文化形成にも寄与してきました。

 

マンホールのふた~その106『恐竜のまち・福井県勝山市のマンホール』

                      20年10月19日 記

 

 福井県は日本固有?の恐竜の全身骨格が発見されたことなどもあって恐竜で有名な県です。県との福井市の福井駅の壁にはだまし絵的な恐竜の絵や駅前広場には動く恐竜のモニュメントがあったりします。
 その福井県のなかでも恐竜のまちとして知られるのが勝山市です。ここには、有名なお城(跡)はありません?が、世界三大恐竜博物館の一つ、県立恐竜博物館があります。ここで、レア?な恐竜のイラスト入りマンホールカードを配付しているってことで福井県内のお城探訪の途中に寄ってみました。現在コロナ対応ってことで、博物館の入場は事前予約制でしたが、マンホールカードは管理事務所でいただけました。
 ついで?に、マンホールカードの元になったマンホールふたの設置場所を聞いて見に行きましたが、ここで新たな発見!。カラーとモノクロの違い、同じデザインで大きさ違いのマンホールふたはほぼ当たり前?ですが、ここのマンホール群は色違いはもとより大きさによってデザインが違い、小さいマンホールのふたは恐竜の足跡であったりします。また、下水道(雨水、汚水)のふたも電気のふたも恐竜デザインで揃えられています。ロコにはこういうセンス?ってナイス!だと思います(笑)。

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 Effect_20201010_162648 福井県立恐竜博物館は、勝山市のかつやま恐竜の森(長尾山総合公園)内にある、恐竜を主たるテーマとした自然史博物館である。カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、中国の自貢恐竜博物館と並び、世界三大恐竜博物館と称され、日本における恐竜博物館の代表格である。
 博物館に程近い勝山市北谷町の手取層群北谷層からは、恐竜のほか、ワニ、カメ、魚類、淡水生貝類、陸生植物などの化石が産出している。この化石発掘現場は、2014年7月から野外恐竜博物館の一部として、見学することができる。2009年10月に、勝山市全域が恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークとして日本ジオパークに認定された[7]。2017年2月には、勝山で発見された5種の新種の恐竜の化石標本とその発掘現場が「学術上重要な標本とその産地として貴重である」と認められ、「勝山恐竜化石群及び産地」として国指定天然記念物(地質・鉱物)に指定された

ロコ、続日本100名城攻城~その36「 福井城」(福井県福井市)を行く

                     20年10月17日 記

 

 今回の北陸福井攻城の出陣の最後は続100名城の福井城です。

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 福井市が県庁所在地のためか?、福井城の本丸跡には現在の県庁や県庁分庁舎、県警本部などが立ち並んでいます。まっ、現代の天守?と言えば言えなくもありませんが、"いと憐れ”なりでしょうか(笑)。
 ただし、この福井城、平城ということもあってか、水を湛えた石垣づくりの巨大な内堀や櫓台、天守台など、壮大なスケールを感じさせるお城です。この福井城の堀とその堀に浮かぶ壮大な石垣の様は、私には広島城と似た雰囲気が感じられました(なお広島城には再建天守があります)。また、内堀にかかる屋根付きの御廊下橋とそれに続く枡形の山里口御門と櫓が再建されていて、この辺りの雰囲気は当時をしのばせて趣があります。
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 福井城は「関ケ原の戦い」後に、徳川家康の次男である結城秀康によって築かれた城です。天下普請によって築城されました。本丸、二の丸は家康自ら縄張りを行ったという説もあります。幕末の名君、松平春嶽の居城としても有名です。
 内堀、石垣、天守台などの遺構が残り、石垣は切込接ぎの布積みで積まれているため、大変美しいです。天守台のそばには「福井」の語源由来となったといわれる「福の井」という井戸が残っています。また本丸御殿の一部は第5代、第7代藩主を務めた昌親(吉品)とその母親の高照院の墓所である瑞源寺の本堂および書院として移築されています。天守は現存していませんが、築城当時は高さ37m・四層五重の雄大な天守だったそうです。

 

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ロコ、続日本100名城攻城~その35「 越前大野城」(福井県大野市)を行く

                       20年10月16日 記

 

 石川県の鳥越城から再び福井県に戻って、一向一揆つながりでもある続100名城の「越前大野城」の攻城です。
 越前大野城は、竹田城(兵庫県)、備中松山城(岡山県)と並んで、日本の‟天空の城”3城の1つに挙げられています。
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 天正3年(1575)、織田信長は一向一揆が支配していた大野郡を金森長近と原政茂の両名に平定させ、大野郡の3分の2を長近に、3分の1を政茂に与えたといわれています。長近は程なく亀山に平山城の城郭と、その東麓に大野が北陸の小京都と呼ばれる所以となる、短冊状の城下町を造り始めました。
 長近は天正14年(1586)に飛騨高山に転封となり、その後は城主がたびたび交代しました。江戸初期には松平氏、天和2年(1682)には、利房が入封するにいたり、廃藩まで土井氏が城主を務めました。
 当時の大野城は、本丸に望楼付き2層3階の大天守と2層2階の小天守・天狗櫓などを置き、麓に二の丸、三の丸があり、二重の堀と川をつないで城を守っていました。石垣は野面積みで積まれています

 

 小高い丘のような亀山に作られた平山城ですが、盆地にあるためか年間10日ほどですが雲海に浮かぶ大野城が現れるそうです。なお、再建Kimg8011 Kimg8091 天守は残念ながら復元天守ではなく復興天守ですが、見事な野面積の石垣のKimg8005 上に立つ姿はやっぱり勇壮な趣があります。

 大野城築城440年記念ってことで、限定版の登城印を買いました。

ロコ、続日本100名城攻城~その34「 鳥越城」(石川県白山市)を行く

                     20年10月15日 記

 

 今回の北陸攻城は福井県に焦点を当てていましたが、地理的・時間的条件も考慮にして福井県と県境を接する石川県の鳥越城も攻城の対象にして訪れました。加賀一向一揆勢力の牙城として大きな役割を果たしたのがこの鳥越城です。

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 鳥越城は、石川県白山市三坂町にある標高312mの城山山頂に築かれた中世の山城跡です。大日川対岸の山上にある鳥越城の出城である二曲(ふとげ)城とともに国史跡に指定されています。
 鳥越城は、大日川と手取両川の合流点に位置する鳥越山の丘陵先端部に築かれていて、その城域は東西約400m、南北約1200mに及ぶ巨大な山城で連郭式の縄張りとなっています。縄張りは、山頂にある本丸を中心とした5ヶ所の主要な郭と3ヶ所の腰曲輪から構成されていて、郭は本丸・二の丸・三の丸・後二の丸・後三の丸があり、空堀や土塁がこれらの郭を囲んで尾根筋を巧みに利用して配置されていて、さらにそれを腰曲輪が囲んでいます。 

 白山麓山内惣庄の旗本鈴木出羽守を城主とし、天正初年(1573年)頃、織田信長による加賀一向一揆討滅の経路がはかられる中で、門徒集団である山内衆の抵抗の拠点として築城されたものです。
 天正8年(1580年)、織田方の柴田勝家軍によって落城し、山内衆の主領鈴木一族は滅ぼされました。その後この城は織田方の吉原次郎兵衛の管理下に置かれまし
たが、白山麓門徒の抵抗は続き、攻防戦が展開。しかし天正10年(1582年)3月1日、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられました。

 

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 山城ですが、山頂まで車で行けます。また城跡全体、堀切や土塁、虎口や各門跡、建物跡などがとてもはっきりとわかるように非常によく整備・復元されています。Kimg7982 石山本願寺や延暦寺のようにお寺でなくお城を作り、文字通り牙城としたことが面白いですね。
 二曲城も合わせて攻城しました。

マンホールのふた~その105『日本100名城のあるまち、福井市と坂井市のマンホール』

                    20年10月14日 記

 

 今日は先日訪れた福井県内で日本100名城のある2つのまち、福井市(一乗谷城)と坂井市(丸岡城)のマンホールふたの紹介です。

 福井市では2種類のデザインマンホールふたを見つけました。
 1つは、福井市のシンボルであるフェニックス(不死鳥)をデザインしたマンホールふた(マンホールカードあり)と福井市のデザインマンホールの最優秀作品に選ばれた越前ガニなどをデザインしたマンホールふたです。
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 福井市の不死鳥(フェニックス)のデザインは、福井市が空襲や地震、水害などから不死鳥のごとく復興したことなどからシンボルになっているそうです。
 もう一つの越前ガニなどがデザインされたふたは、第2回「マンホール・ワン・コンテスト」で 最優秀作品に選ばれたシールタイプの蓋です。 福井の美味しいものがデザインのテーマで、このデザインのポイントは、「波に見立てた越前そば、羽二重餅のふくい看板、越前蟹も待ってます、みんな大好き福井」となっています。

 なお、福井市は2種類のマンホールカードを発行していて1つは市章であるフェニックス(不死鳥)をデザインしたカードと日本100名城・一乗谷城をデザインしたカードです。Hukuisibkado2 越前ガニなど福井の美味しいものデザインふたのマンホールカードは発行されていません。 また、一乗谷城朝倉氏遺跡のマンホールふたは見つけることはできませんでした(後で調べたところ、今は実物ふたは撤去されていてまちなかでは見られないそうです)が、発行されているマンホールカード(写真右)は手に入れることができました。

 

 丸岡城のある坂井市では1つのデザインふた(旧丸岡町のデザインふた)しか見つけることはできませんでした。デザインは、丸岡町の花ハナショウブが蓋を4分割し描かれたもので、向かい合っている柄同志で凹凸が同じになっています(写真下)。
 なお、坂井市のマンホールカードは発行されていません。
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ロコ、日本100名城攻城~その72「 一乗谷城(一乗谷朝倉氏遺跡)」(福井市)を行く

                     20年10月12日 記

 

 北陸の100名城攻城の2城目は一乗谷城(一乗谷朝倉氏遺跡)です。ここは山城と山裾の城下町を合わせて一乗谷城と呼ばれているようです。

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 一乗谷城は朝倉氏の居城として知られ、一度も戦闘に使用されることなく廃城となった城でもあります。現在でも曲輪や空堀、伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残っています。また織田信長の侵攻に備えて築かれた畝状竪堀の一部も残っています。一乗谷城と山麓の城下町(朝倉氏および家臣の居館)からなる遺跡全体が国の特別史跡や日本100名城に選ばれています。戦国時代、一乗谷は北ノ京とも呼ばれるほど栄えた都市ですが、織田信長の侵攻により灰燼に帰しています。近年、周辺の発掘調査が進んでおり、その結果や史料を参考に当時の町並みが復元され、復原町並として公開されています。こうした原寸大の立体模型は日本初です。

 朝倉氏によって当主館の東側背後、西方に福井平野を一望できる標高473メートルの一乗谷山に築城された中世山城。15世紀前半には築かれていたと考えられる。一度も戦闘に使用されることなく廃城となった。現在でも、曲輪、空堀、堀切、竪堀、土塁や伏兵穴跡などの遺構が尾根や谷筋に沿って残っている。全長1.5キロメートル、幅200メートルの曲輪を配し、主郭部分はおよそ600メートル×200メートルである。本丸(千畳敷)は標高416メートルに位置し、東南へ尾根伝いに一の丸(443メートル)、二の丸(463メートル)、三の丸(473メートル)となる。各曲輪は堀切によって区切られている(連郭式城郭)。

 

 一言でいうと、とっても面白いし、堪能できるお城です。それにしても、朝倉氏が想像を超えてこんなにも財力と権力を持っていたことを知りました。Kimg8037 一瞬、奥州平泉の藤原三代の栄華?を思いだしちゃいました。朝倉氏の館だけでもそのスケールに圧倒されますが、スケールだけでなく、Kimg8020 城下町入り口の上城戸・下城戸の構や館を取り巻く水堀と空堀の堀切、土塁などどれをとっても防御的に優れた構造を持っています。
 また、特別史跡に認定されている遺跡に加え、湯殿跡庭園や諏訪館跡庭園など4つの庭園は特別名勝(庭園)に、さらに遺跡からの様々な出土品の多くが重要文化財に指定されるなど、 金閣寺や厳島神社などと並ぶ国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受ける大変貴重な遺跡となっているそうです。
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 時間の関係で山城の方は完全制覇できなかったけれど、朝倉氏遺跡にすっかり嵌ってしまったこの日のロコでありました。Kimg8040
 ちなみに、一乗谷城の登城印と朝倉遺跡のマンホールカードを手に入れました。

ロコ、日本100名城攻城~その71「 丸岡城」(福井県坂井市)を行く

                  20年10月11日 記

 

 過日、平日にお休みをいただいき、GO TOを利用して北陸にあるお城(100名城と続100名城)5つを攻めました。中国、四国、近畿、関東をほぼ制覇しており、今回は北陸への攻城です。

 最初に訪れたのが日本100名城で現存12天守の一つ、丸岡城です。

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 丸岡城は柴田勝家の甥で養子となった柴田勝豊によって築かれた城です。江戸時代には福井藩の附家老として城主をつとめていた本多成重がをつとめていましたが、福井藩主・松平忠直の隠居に伴い独立し、丸岡藩が成立しました。その後、本多家がお家騒動で改易となったのちは、代わって有馬氏が入封し、以後6代がこの地を治め明治維新を迎えました。掘立柱構造の望楼型天守や、笏谷(しゃくだに)石を使った石瓦などが特長の北陸唯一の現存天守で、最古の天守という説もありましたが、近年の調査により築城年代は江戸初期であることがわかりました。「日本100名城」や「日本さくら名所100選」に選ばれています。

 

 城郭は面影はほとんど残っていませんが、小高い丘(平山)に築かれた本丸と二重三階の望楼型木造天守、野面積みの石垣などが古風なお城Kimg7955 の様子を伝えています。また、薄青みがかった笏谷石の屋根瓦が綺麗です。Kimg7946 春の桜の頃は天守をバックにとってもきれいで絵になる風景が展開されそうです。面白い?ところでは、2階から3階に上る階段の急こう配です!。いままで私が経験した中でどこよりも急な木造階段に狭い踏み幅、ロープの助けがないと登りもそうですが、下りは間違いなく降りられません!?
 最近新たに収集を始めた登城印を買いました。また近くには丸岡城を模した外観?の「日本一短い手紙の館」があります。Kimg7939

 

Kimg7939 なお、ロコは「100名城」、「続100名城」の完全制覇・登城をめざしていて、これまでも度々ブログでも取り上げて紹介してきましたが、ここ最近から登城・攻城したそれぞれのお城の数をわかりやすく?ブログの見出しに表すようにしました。

マンホールのふた~その104『八幡堀と八幡山城(跡)があるまち・近江八幡市』編

                     20年10月6日 記

 

 今日は、近江八幡市のデザインマンホール(カラーとモノクロ)の紹介です。
 このデザインふたは、八幡堀の両側に白壁の蔵の風景と奥には八幡山、 近江商人のそろばん玉の柄の暖簾と市の木・サクラがデザインされています。珍しく?公募で選ばれたデザインとのことです。


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 ちなみに、近江八幡市の安土町のマンホールふたは、ロコブログの2016年5月25日付に紹介しています。また、近江八幡市のマンホールカードもまだ発行はされていません。悪しからず。

ロコ、続日本100名城攻城~その33「 八幡山城」(滋賀県近江八幡市)を行く

                     20年10月5日 記



 この日は「鎌刃城」を攻略した足でそのまま近江八幡市にある「八幡山城」へ。このお城もやっぱり続日本100名城の一つです。

  八幡山城は、近江八幡市の市街地のすぐ北側、標高271.9mの八幡山山頂にあります。安土城が落城してから3年後、太閤・秀吉の甥で関白・豊臣秀次が築いた城です。
  最頂部に本丸をもうけ、その南東に二の丸、西に西の丸、北に北の丸、南西の尾根上一段低く出丸を配置する構造で、山頂から八の字形に広がる尾根上の小曲輪と、尾根に挟まれた南斜面中腹に秀次館跡と家臣団館跡群と思われる曲輪群が階段状に残っています。現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょずいりゅうじ)が京都から移築されています。また、秀次館跡からは金箔瓦が多数出土し、とくに秀次の馬印である沢瀉紋(おもだかもん)の飾り瓦が発見されるなど築城当時の豪華さが伺えます。

 

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 この城にはロープウェイで山頂まで登ります(後でわかりましたが登山(城)道があって、これを使えば無料です)。関白・秀次が築城しただけあって、高石垣がとても見事ですが、観光地化されすぎて?今の姿は山城当時のなごり?、面白味?が感じられず、私的には鎌刃城の方が比べ物にならないくらいはるかに面白かったです。八幡山城ファンのかたごめんなさいm(_ _)m。

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 ちなみに、滋賀県内には100名城が4つ(小谷城・彦根城・安土城・観音寺城)、続100名城が2つ(鎌刃城・八幡山城)ありますが、八幡山城で滋賀県内の100、続100名城は完全制覇しました。

 

 

マンホールのふた~その103『新幹線が停まり、鎌刃城(跡)があるまち・米原市』編

                      20年10月1日 記

 

 今日から10月です。最初にお詫びとお知らせ?です・
 昨日付のブログは、なんと!、40日ぶりのアップ記事になってしまいました。40日間も更新されなかったにもかかわらず、アクセスいただいた貴重な読者のみなさん、ごめんなさいです。もう少し?頑張ってアップしますので、引き続きお付き合いいただければ幸いです。また、新規の読者のみなさんも大歓迎です。拙いブログですが、よろしくお願いします。

 

 さて、今日のブログは、昨日付で取り上げた鎌刃城のあるまち・米原市のマンホールです。
 お城の探訪時に2種類のデザインふたを見つけました。1つは旧米原町のもので、もう一つは旧近江町のものでした。

 

 旧米原町のふたは、「町章」の中央に、町の花(サツキ)をちりばめ、 周りに町の木(イチョウ)の葉を配置したものです。「町章」は米原町の「マ」を図案化したもので、円形は 合併による旧町村意識を捨て“団結”を、 鋭角は“飛躍と発展”を象徴したものです。

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 旧近江町のふたは、町の木(モクセイ)、町の花(サツキ)、繭(まゆ)をモチーフし、 それぞれ O・M・I を模っており、繭については「近江」を 表現しています。 上方の「町章」は「近」の文字を図案化したもので、 町の平和と団結をあらわし、あわせて飛躍発展を 端的にシンボル化したものです。
 なお、私的には、このデザインに込められた?表現は、解説がないと多くの人がほとんど気づかないと思うくらい秀逸?だと思います(笑)。

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 ちなみに、米原市のマンホールカードはまだ発行されていません。残念!

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