3密を避け、独り山城跡を行く PartⅡその ③「備前国・乙子城」編
20年11月26日 記
「乙子(おとご)城」。名前は聞いたことがある城(跡)なので、近くに来た縁(便)で訪れた次第です。ただっていうか、ちなみに、この城は先日(23日付ロコブログで)取り上げた「亀山城」の主・宇喜多直家の出世城と言われている由緒ある?お城(跡)です。
形態は、「連郭式山城(丘城)」となっていますが、河口に突き出していた丘陵に築かれていて、3方は河口に取り囲まれていた川(口)城?のようです。
岡山市南東部の吉井川河口にある標高48m程度の丘陵に位置する。この地に城が構えられていた時代は、丘陵は河口に突き出していた。その丘陵に連郭式に曲輪が構えられていた。
戦国時代に備前国に覇を唱えた浦上宗景が、児島湾への睨みを利かせる為に構えたが、築城年については不明である。宇喜多直家が天文13年(1544年)、備前の守護大名赤松晴政との合戦に初陣し武功をたて、宗景より最初に任された城であると伝えられており、宇喜多直家出世の城(国盗り始まりの城)といわれる。
山(丘陵)はひょうたん型で、西側が高く主郭(写真右)となり、東側の乙子大明神のある所が二郭とされています。指定史跡にもなっていないせい
か?、主郭にある案内板も年月が経ち、文字も読みづらくなっています(写真左)。
登城道はけっこう急坂ですが、山自体も低く、道も整備されているため容易です。曲輪や土塁(写真下左)以外にも堀切(写真下右)や竪堀らしき跡もみつけましたが、主郭部以外には案内看板もないためよくわかりません。
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