3密を避け、独り山城跡を行く PartⅡその ②「備前国・亀山城」編
20年11月23日 記
亀山城は山城と言っても、別名「沼城」とも言われているように、実は、湿田の中に島状に並ぶ二つの丘陵に築造された連郭・輪郭式折衷の平山城で標高は30メートルほどです。宇喜多直家が永禄2(1559)年に主君浦上宗景よりこの城を賜り、新庄山城より移って以来天正元年(1573年)岡山城に移るまで、直家壮年時代の勢力拡大期の14年間活躍の拠点となった城跡で、城郭遺構が丘陵全体に残っています。切岸と西側の石積、本丸・二の丸の土塁などが確認できました。
宇喜多直家の戦国大名としての成長期の居城で、城郭規模や内容由来が旧備前国内屈指のものとのことです。
岡山市沼にある。砂川の中流域に位置する小丘陵上に位置し、古代以来の吉備中枢地を形成した旭川下流域の平野と、刀剣で有名な長船や、県南部では最も著名な中世の市場である福岡市のある吉井川流域の平野との中間点であり、両地域を押さえる立地といえる。 |
高さ30メートルほどの平山城ですが、北側の山沿いを除き沼地だったことと、北側も最大10メートルの高さの切岸に囲まれていてかなり防御は堅固だったようです。
正直、攻城は容易でしたが、"戦国の梟雄”と称される宇喜多直家飛躍の地としての城を攻城したことは灌漑深いことかもでっす!。
« 3密を避け、独り山城跡を行く PartⅡその ①「大廻り小廻り山城」編 | トップページ | マンホールのふた~その114「香川県・高松市と丸亀市のマンホールカード」 »
« 3密を避け、独り山城跡を行く PartⅡその ①「大廻り小廻り山城」編 | トップページ | マンホールのふた~その114「香川県・高松市と丸亀市のマンホールカード」 »
コメント