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ロコ、続日本100名城攻城~その37「 能島城」(愛媛県今治市)を行く

                    20年11月5日 記

 

 過日、大潮の引き潮時を狙って、続日本100名城の「能島城」(愛媛県今治市)に行ってきました。


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 能島城は100名城、続100名所の中で唯一の海城(島城)です。もっといえば、島(能島と鯛崎島)全体が城となっています。さらに、ここ能島の周りは、時に最大速度18m(10ノット)の潮流が流れ、ところどころには渦潮も見られる海運の難所です。
Kimg8136Kimg8156  こんな難所であり、難所であるがゆえに島を城にし、そこを拠点に海上交通を支配したのが俗に?いう村上海賊(村上水軍)です。そう、この城は三島(能島・因島・来島)村上海賊のうちの能島村上氏の居城なのです。Kimg8143

 定期航路があるわけではないので能島上陸はなかなか難しいのですが、今は土・日・祝日のみ能島上陸&潮流クルーズが運行されており、これを利用しての攻城となりました。余談ですが、私はどうせ上陸攻城するなら潮流の激しいときを体験したいとの思いから、大潮の引き潮時のクルーズ船を選びました。ちなみに、ほんとうにすごいです‼ 瀬戸内海なのに急流の川のように潮がながれていました…。

 

 能島城の沿革&データ

 伊予国の水軍村上義弘の子孫、義顕が応永26年(1419)に能島をそのまま利用して築いた海城。長男雅房が入城、以後能島村上水軍の本拠となり、天文24年(1555年)陶晴賢と毛利元就が戦った厳島合戦で、能島村上氏は毛利方につき勝利に貢献した。フロイスの『日本史』では日本最大の海賊と称されるほどの勢力を持っていたが、豊臣秀吉による四国征伐ではこれに従わず、小早川隆景の攻撃を受けて降伏、安芸国鎮海山城主となった。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で村上武吉の嫡男元吉は加藤嘉明の居城である伊予国松前城を攻めたが、三津刈屋口の戦いで敗れて討死した。その後、村上氏は毛利氏に従い防長二カ国へ移っている。

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 能島城は大島と鵜島との間に浮かぶ周囲約1km程の能島とその南にある鯛崎島で構成される。能島は逆三角形の形をした島で、その中心となる高台に本丸、それを取り囲むように二の丸、西の先端部に三の丸、南の南端部に東南出丸、東の先端部に矢櫃と呼ばれる曲輪があり、南の鯛崎島も鯛崎出丸となっている。 能島の周辺は潮の流れが速く複雑で自然の要害となっている。
 最大の見所は水軍城として活用された証拠でもあるピット(柱穴)跡で、これを見るためには干潮時に訪れなければならない。比較的簡単に確認できるのは北側に船溜まりの東側にあるピット跡で、丸や三角の穴が岩に刻まれている。現在船が着岸する所から南へ歩いた所には最大の穴と思われるピット跡がある。

 

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