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村上海賊ゆかりの城part2~石垣で囲まれた海城・甘崎城を望む

                      20年11月9日 記

 

 先日の続100名城の能島城攻城の際に、村上海賊のことをいろいろ学びました。そんな中で、瀬戸内の伊予や芸予海域には無数の村上海賊ゆかりの城や出丸があることを知りました。能島城攻城の帰り道に2つばかりゆかりの城に寄りましたが、今日はその一つで県指定史跡の「甘崎城」編です。

Kimg8179

 なお、能島城を便宜上?、part1とする関係で、甘崎城はpart2となります。悪しからず…。

 

 甘崎城は伊予大三島の東岸、甘崎集落の約130m沖に浮かぶ古城島を全面的に城塞化した海城です。村上水軍の拠点のひとつでしたが、豊臣秀吉が瀬戸内海の覇権を握ると藤堂高虎の属城となり、その従弟・良勝が城主となっています。1608年(慶長13年)の藤堂高虎の移封によって廃城となりました。
Kimg8178  島の上には大きく三段になった曲輪があります。中央部が一段低く、北の曲輪は南西隅がスロープになって虎口となります。城の回りは石垣で囲われていましたが、現在残っているのは南の石垣と西と東の列石の部分です。南の石垣は四段ほどが残り南隅は算木積みになっています。 西の列石は大きくコの字、さらに北東側へ二列の列石が続いています。 東の列石も大手とされる辺りがやや島に近くなり、南北に伸びています。

 

 この海(島)城の最大の特徴は、潮が引いたときにしか見られませんが、海中縄張りと呼ばれる石垣が島(城)をぐるりと取り巻いていたこと?です。これは満ち潮の時は海上からの敵の接近を阻み、引き潮の時には陸地からの敵の潜入を防ぐ役割を果たしていたものだと推測されます。Kimg8180
 陸繋島という地理上から潮が引くと年に何回か島に至るまでの陸路ができる(海割れ)そうです。私が訪れた時は引き潮の最中で南側の石垣の配列と隅の算木積みまでは何とか確認できましたが、歩いて渡ることはできそうにはありませんでした。それでも、島の回りに築かれていたれていた石垣が、潮が引くにつれて現れてくる珍しい光景(写真下参照)には出くわせました。元禄4年(1691年)にこの沖を航行したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは、帰国後に『日本誌』において、「水中よりそびゆる保塁あり」と記述を残したそうです。
 ‥残念ながら、今回は上陸(攻城)できませんでしたが、機会があれば、"海割れ”の日に再度挑戦してみたいと思う、海に浮かぶ城です。

 

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